ソウシのひと 【vol.2 金子さん】

連載シリーズ「ソウシのひと」の第二弾です。
「ソウシのひと」では、SOCIスタッフへのインタビューや主催イベントのレポートを通じて、私たちが今まさにどのように「まちと、プロジェクトと、つながって」いるか紹介し、私たちの人となりやSOCI流のデザインの一端、そして今後の展望を発信していきます。(聞き手:SOCIスタッフ 黒川春香)
第一回須永さんの記事はこちら
第二回は、事務所初期からSOCIを支える、金子将太さんにインタビューしました。SOCIといえば、金子さん。その人となりから担当中のプロジェクトまでお聞きしました。

金子さんの大学時代やこれまでの経験について教えてください。
高校は都立の農業高校で3年間、農業や園芸、庭作りなどを学びました。次の進路をどうするか考えているときに、高校にある大学のパンフレットを見ていたところ、東京農業大学がありました。そこにランドスケープ系の短期大学部のページがあって、小さな文字で「都市と自然の融合化」の言葉がありました。自分がやりたいことはこれなんじゃないかなと思い、そこに入学しました。
短大で2年間勉強した後は、それだともったいないなと思ったので、同大学の4年制のランドスケープ系学部に3年生として編入学し、そのまま大学院に進学しました。 都市と自然の調和みたいなことに興味を持ち始めたきっかけは、農業高校に通っていたのもありますが、 高校2年夏の課外学習で原宿の明治神宮に行くことがありました。原宿っていう若者文化の中心地で交通量も多く、騒音などがあったのですが、神宮に入った瞬間に、ぱって遮断されたんです。森の遮音性もありますが、なにより、空気の質が変わるのも心象として影響が大きかったかなと思います。それで、都市やまちにこういう空間があったら世の中明るくなるんじゃないかなと感じたのがきっかけですね。当時は自殺系のニュースとかも多かったので、世の中なんとなく鬱蒼としているなと思っていたのも、今にリンクしたのかと思います。
大学や大学院での研究は、どのようなことに取り組みましたか。
大学と大学院の4年間は墓地をどう親しみやすく、公園づかいがされやすい場所にしていくのかを研究をしていきました。墓地は、公園とは違って、365日中 2~3日だけ使うぐらいで、それ以外は使われないなんて、もったいないし、さみしいなと思いました。みんな亡くなったらそこに入るので、生きている時から親しみを持って行けるような場所にした方がいいんじゃないかと思い、その設計手法を研究しました。セントラルパークのモデルは田園墓地と言われているぐらいです。
都市霊園に興味を持ったきっかけはなんだったのですか。
学生時代に洋画をよく見ていたんです。洋画だと全面芝生の墓地でカーチェイスするシーンがあるなど人を弔う以外のシーンが多くあります。一方、日本の墓地が出てくるシーンは、心霊系や墓地自体は殺風景だが、背景の海でなんとか絵を作るシーンが見られます。そういう映画で見る墓地利用の違いが気になったのできっかけですね。
プレイス・ビヨンド・パインズっていう映画でライアンゴズリングが墓地でカーチェイスするんですけど、その時のシークエンスが、ここほんとに墓地??っていうぐらいきれいなんですよ。やっぱり海外の方が墓地は楽しそうなんですよね。

そのような学生生活を過ごした上で、現在の仕事はどういう風に感じていますか。
SOCIは、パブリックスペースど真ん中というか、 都市計画から道路・公園の設計、ストリートファニチャーのような、1万分の1から1分の1スケールの設計をしますし、図面では見えない、市民の主体形成なども行うので、ハードソフト両方をつなげる事務所だと思います。この社風は自分が学生の時にやりたかったランドスケープとフィットしていました。
これまでに複数回の社会実験やパークレットの計画・設計を担当しましたが、できたときにその場を面白ながら使ってくれる人達を見ると、自分がやりたかったことは間違っていなかったんだなと思います。なによりうれしいですよね。
また、空間をつくる上でWS等も行いますが、そこで出てきた意見を全て取り入れてできた空間=使われる空間ではないと思っています。 人々に使われるためには美しい空間である必要があり、それをつくり上げるためには、最終的な空間の調整や判断は職能としてこちらが覚悟を持って行う必要があると考えています。
次に、現在関わっているプロジェクトについて教えてください。
入社当初から参加している沼津市の業務を続けさせて頂いています。あとは、埼玉県朝霞市の駅前広場の設計を担当しています。 沼津市は約20年後の鉄道高架化に合わせてまちなかの公共空間をどう再編していくか、そのあとどう使っていくかを主軸に考える都市計画の業務がメインとなっていて、朝霞市は約1,600㎡の駅前広場の実施設計なので、図面をひたすら書いています。それぞれタイプが異なりますね。
プロジェクトの領域が、社会実験や計画業務から設計業務までとても幅広いですよね。意識の切り替えや、気を付けていることはありますか。
意識の切り替えみたいなことはあまりありません。両方で同じだなと思うのは、人対人ということです。例えば設計だったら行政やメーカーとのやりとり、社会実験やイベントだったら参加者や出店者などの地域住民とのやりとりが発生するので、相手とコミュニケーションすることが大事だなと思うようになりました。
人が関わり合って仕事や空間はできていくので、関わる人の母数が多いことから作業するように意識しています。逆に資料やモデルづくり、デザイン検討は一定の期間は対自分のことなのでやりきるしかないなという気持ちでとことん作業しています。

今後SOCIとしてやっていきたいことはありますか。
ずっとやりたいなと思っているのは、園庭の設計ですね。
これまで自分は社会実験業務が多く、業務がスタートして4ヶ月~半年で、図面を提出して空間化していくというのが多かったように感じます。なので、基本構想や基本計画からはじまるものをやりたいなと個人的にはすごく思いますね。
一方で、SOCIとしてやるべき業務なのかどうかという議論を全員でしています。 これまで続いてきた業務が今年度で完了するものが多いので、来年度はプロジェクト自体を作り上げていく基本構想などに新たに関わるタイミングなのかなとも思います。
SOCIのメンバーから学んだことはありますか。
SOCIの社風として、一つ一つの業務に、SOCIとして、個人として、どういう課題設定をして社会に問うのかという姿勢は学んだような気がします。その新しいことっていうのは、好き勝手なことをやるんじゃなくて、この仕様書には見えてないけど、実際こういう社会・地域課題があって、それを解決するためには、この手法とこの手法を組み合わせてやるのがいいんじゃないか、それをどういうアプローチで地域に理解を得ながら成し遂げていくのか、という、その地域の人や環境にあった手法ができるかどうかを大事にしています。
最後の質問ですが、金子さんにとってパブリックスペースとはなんですか。
“思い出の集積地だと思っています。“
広場に一つあるベンチが、誰かが告白して成功した場所になるかもしれないし、失恋して泣いた場所になるかもしれないですよね。目には見えないけど、まちに住む多くの人々の思い出が無数に重なる可能性があるのがパブリックスペースだと思います。
そのような場所を作るために、設計者はその地域に住む人達を知って、土地や環境を正しく把握し、その場所に適したデザインをしてくべきだと思っています。そんな心温まる気持ちをもって働いています。
